はじめてのパリ語学留学


日本のメディアで知るフランスから、体験するリアルフランスへ。

パリ観光から帰国してしばらく経ったある日、フランスに住んでみたい、という思いがムクムクと湧き上がって。

フランス関連の書籍や、フランスに暮らしている日本人の方が書いているブログを片っ端から読み漁りました。

やはり資金は必要だけど、行ってみたいと思ったときに行動した方がいい、という意見もうなずけるし…。

そこで私がとった行動はというと、観光+語学留学という、おいしいとこ取り。

仕事を辞めずに、有給休暇を使えば行けるし、実際に行ってみて、本当にフランスに住めるのか、確認ができるし。


私立の語学学校だと、一週間から申し込むことができる点が助かりました。

まずはパリの語学学校に通うことに。ホテルを8泊予約して、ホテルから学校へ。「地球の歩き方 パリ」にあった、割と安めのプチホテル Hôtel de Marseille. (2003年当時、シングル、8泊で430ユーロ。)

おばあちゃんがフロント担当で、異国から来た私を、いつもホッとさせてくれました。

毎朝食べた朝食セット。
ホットコーヒーに付いてくるミルクが温かくて感動✨ ☕️は約2杯分。

クロワッサンに半分に切ったフランスパン。バターとジャムをパンに塗りながら、フランス人マダムとムッシューの会話を、わからないながらも聴くのが楽しみでした。


学校は、「成功するフランス留学」に掲載されていた沢山の学校の中から、校長が日本人の Lutece Langue リュテスラングに。

午後1時半から3時間の授業。
(2003年当時、1週間で260ユーロ)

初心者コースは、入学できる日が決まっているので、要チェック!

ホテルのある Ⓜ︎Gare de Lyon ガール・ド・リヨン 駅から、Ⓜ︎Étienne Marcel エチエンヌ・マルセル駅へ。

※現在、リュテスラングは、7区 Ⓜ︎12号線のSolférino へ移転しています。

エチエンヌ・マルセルは、パリの中心1,2区辺りで、授業が終わってからの観光に適していて、いつも街へくりだすのが楽しみでした。


Bato bus (バトー ビュス)という、水上バスに乗り、セーヌ川の ザップン ザップンとした音に耳打っていたら、心が洗われました。”もっとゆっくり、自分のペースでいいんだよ”と。


但し、しょっぱなから、なかなかの量の宿題が出たので、フランス語ゼロで乗り込んだ私にはかなりきつく、午後の観光のしわ寄せで、勉強が深夜に及ぶことも。

ただ、ホテルに戻ると、フランス語が頭の中でグルグルと回っている状態だったので、このまま居れば、かなりの早さでフランス語をマスターできるのでは?なんて思ったり。

クラスには、オーストラリア人、アメリカ人、日本人は私1人。意外にも私が一番年下。何かを始めるのに、年齢は関係ないなと感じました。


初心者コースと安心していたのも束の間、アルファベ(a,b,c,d…)は一時間も経たないうちに終わってしまって。
正直焦りましたが、なんとか5日間を
終えました。


最終日の金曜日、クラスで仲良くなった方と待ち合わせて夕食へ。

店先の氷のディスプレイにのっていた牡蠣とムール貝になぜか無性に惹かれて店内へ。

生の牡蠣とムール貝、付け合わせにザワークラウト。人生の転機を迎えたクラスメイトの話に、うんうん、と頷きながら、夜は更けていきます。

「人生楽しもうね〜!」とお互いホテルに戻ります。いい旅だったなぁ。。なんて物思いにふけっていたら、どうも胃腸の様子がおかしい。熱も上がっていきます。

そのうち胃痛、下痢、嘔吐を繰り返すように。あ!生牡蠣とムール貝…

病院に電話しようとしたところ、フロントに繋がる電話だったので、諦めてしまいました。こうなったら、日本から持ってきた、葛根湯と胃薬、正露丸で治すしかない!

それでも次の日には、日本から予約を入れていた KENZOのマッサージを受けに。

エッフェル塔にも行きました。もはや火事場の馬鹿力… 

帰国の飛行機では、食事が喉を通らないくらいに。もっと行きたかったところがあったり、ドタバタな滞在だったけれど、行きたいと思ったときにフランスへ行くことができて、本当によかったと思っています。

日本での生活や、これからの人生について、客観視できたことも、よかったです。


私を再発見するフランス旅

大人になってから、新しいことを1から始めるって新鮮◡̈⋆ 少しずつ体験していった、フランス旅について綴っています。

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