語学学習いろいろ(前編)

語学の習い方はいろいろ。

私は小さい頃から母親の母国、台湾へ
行く機会が多く、親戚も多いことから
マンダリンを耳から覚えることができた。


歳の近い従兄弟たちとは、わからないながらも心が通じる。子どもは国が違っても遊ぶことができる。わからない言葉は母親に聞いて理解しながら会話。


文法から入らなかった分、
読み書きは苦手で、中国語検定のリーディングでは点数が取れず一苦労。


でも日常会話は通じる
といった感じ。
29歳から1年も悩んで始めた
フランス語は、その流れからか
耳から習えばいいのではと思い
フランス人の先生からフランス語で
習った。


思っていた通り難しく、
耳から入れるだけでは大変過ぎた💦
なぜここにこれが入るのかが
全くもってわからなくなる一方、
授業はどんどん進む。


中国語だと日本で使われる漢字と
同じものも多くて想像しやすかった
けど、アルファベはかなり苦戦。


わからないからもう一度振り返りたい
と先生と相談するも、振り返るのは
勿体ないからと上のクラスを勧められるがままに進んでしまい。


でもわからないものをもったまま
クラスだけ上に行っても、
わからないものが消化不良を起こして

(数学もそうですね。一つ分からないとドミノ倒し的に分からなくなってしまうあの感じ)

とうとうついていけなくなり


宿題こなしきれない、
復習追いつかない、
授業ついていけない、
仕事など人生もろもろについていけなくなり、5年ほどのフランス語学生生活に終止符を打った。


それから3年ほどは、使っていた教科書をとっておいたけれど、
その間一度も開いたことはなかった。


もう持っていても場所を取るだけだし
フランス語をやりたいと思ったときは
新しい方法で再開したいだろうな
となんとなく思っていたので、
思い切って全ての教科書を
捨てた。

あっけなかった。

でもそのときはもう、全くといって
いいほどフランス語、いやそもそも
フランスへの興味を失っていた。

なにもかも疲れ果てて、
燃え尽き症候群に。

これはお休みを取って、またフランス語やりたいという気持ちが復活するまで待たないとダメになると危機感さえ湧いてきた。


振り返ってみると、フランス語を
頑張ってやっていた時期はかなり焦っていたと思う。


この教科書は何年で終わって、
このときまでに仏検○級を取って、
20○年までにはこのレベルを目指して…と、今いる地点から目標までにはほど遠く果てしない思いを抱えていた。

フランス語自体は楽しめていたのか?
疑問に思う。楽しんでいたのは最初のうちで、だんだんと苦しみに変わってしまった。

フランス語を辞めて3年過ぎたころ、
なんだかフランス語が懐かしくなった。

以前のお勉強スタイルではなく、
もっと気軽にフランス語に触れられる
ものはないかと探していたところ、

とある会社に所属している方が
独立してフランス語のレッスンを
やる時期に遭遇し、カフェで軽く習うことになった。

先生は私と同年代のフランス人と日本人のハーフ美女。どうしてもわからないときは日本語で説明してくれて
私の受けたかった気軽なレッスンだった。

お互いを励まし合い、ときには仕事や恋愛の相談までしてくれて、当時の私には必要な出会いだったと今は思う。

月に一度のレッスンを一年ほど続けていたところ、心境の変化が。

もっと話せるようになりたい!
と。奇跡✨

でもお勉強スタイルに戻してしまうと
挫折するのは目に見えていたので

フランス語をやる意味を感じられて、
フランスへの興味が掻き立てられて、
仕事と両立できそうな(ここ大事)
そんなレッスンを受けたいなぁと
探していたところ、

ドンピシャなフランス語会話レッスンを見つけるのでした。


語学学習いろいろ〜その2〜
へ続く…


私を再発見するフランス旅

大人になってから、新しいことを1から始めるって新鮮◡̈⋆ 少しずつ体験していった、フランス旅について綴っています。

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